“石を叩くと火花が生じる”
“瞬間の火を永遠の印字とする”
三上浩は石と火花の遭遇を創出しつつ、そのような思いを持ったのではないでしょうか。

また作家自身の言葉もあります。

「...石を叩くという人間が大昔から行ってきた普遍的な行為、その時に飛び散る火花、そしてレンズとフィルム。この制作を構成する要素はひとつひとつがこれ以上ないほど単純で基本的なものである。三上はこの光りが集積されてでき上がったプリントを石彫刻の写真ではなく、“石彫刻そのもの”であると明言する。」
「脱走する写真」展カタログより 寺門寿明著 / 水戸芸術館 / 1990年

「プロジェクト硄」は、石彫家三上浩が暗闇の中である一定の時間意志を叩き続け、その一打ごとに飛び散る火花のすべてをカメラのシャッターを開放した状態で、1枚のフィルムに写しこんだ写真作品のシリーズです。1983年に写真家達川清との共同制作としてスタートさせました。

 “彫刻家の父”と言われるカール・プランテルのもと、オーストリアで始められた石彫シンポジウムに長年参加した経験を持つ三上は、そのシステムをインドに広め、かねてから興味をもってきたサンスクリット語や象形文字などの遺され方に準じ、石彫に文字を用いる制作をしてきました。1998年ドイツ、メックレンブルグ州のアーティスト・イン・レジデンスに滞在、プルシャウ城の森の中で見つけた石(メッセージを運ぶため別の惑星からやってきて、氷河期にスカンジナビア半島にたどり着いたと地元の人々に言い伝えられている)を使い試行錯誤を重ね、石を一打ちした時に飛び散る火花のかたちをベースとした文字を生み出すプロジェクトを開始します。自らカメラをセットし、写真による「QUAU GLYPH -硄グリフ」を1998年12月に完成させました。翌年4月ドイツより帰国後「硄グリフ」の発表、展開をさせてゆく意気込みでしたが病のため9月14日に急逝、これが遺作となりました。

「 私は石を彫っている時に生じる火花とその音を使うアイデアを、1971年にドイツ、バイエルン地方の石丁場で制作している時に思いついた。5時になって職人達が去り、壮絶な騒音を一日中出し続けるコンプレッサー、ドリル、火炎切断機等が突然止まる。そして自分の鑿と石の響きだけがそこに在り、それは山々に木霊(石霊)し時間のずれをみせながら、手元に戻って来る。そして徐々に鑿の先で火花が見えだす。そのふたつほどの真実はない。何かを創ろうかとしていた事は、そのことに比べるとたいしたことでは無い。それに魅せられたまま彫り続け日が暮れて行き、いよいよ閃光は強烈に主張してくる。その内、周りのものはその火花の反射光でしか見えなくなってくる。石の音と閃光に、それまでの6年間の美術学校で触れたもの以上の意味、今まで作っていたフォルムと同じ、またそれ以上の価値を覚えた。それを、いつか自分のARTにしたい。」
-「Project 硄 回想記録」より1983年三上浩著-

ドイツにおける三上浩の創作を見守った河合純枝さんはこう書いています。

「...不可視、そして手で把握できないこと、このふたつは、三上浩の“硄”と名づけられた仕事の起点といえる。ミケランジェロは、粗石の中に隠されている人体を見ることができたと言われる。しかし三上氏は、隠れたモニュメントを石の中から掘り出そうとしているわけではない。ただ彼のエネルギーと石がぶつかり合い、火花が生まれる。個々の火花は、カメラのレンズを通して捕らえられ、記録される。こうして集積された火花の最終的写真だけが、私たちが見ることの出来るものである。これは、カンディンスキーが“シンセティック・アート”と呼んだアートに当てはまるものなのだろうか。異なった媒体が組み合わされたアートなのだろうか。カンディンスキーは、また、リアリズム表現を超えて“不可視なもの”言い換えれば、目に見えない“精神性”をこそ、アートの中に表現するべきだと言った。私達の生活において、大切なものは、往々にして目に見えず、そして感知できないものなのだ。
 三上氏は、我々の宇宙におけるすべては、無常の存在であるということを強く意識していた。巨大な惑星さえ消え行くものであり、我々の人生は、三上氏の火花のように一瞬の間でしかありえない。しかしこのつかの間の火花の中に、大切な、そして本質的な何かが隠れていて、不可視であり続ける。三上氏は、この“なにか本質的なもの”を常に探し求めていたのだった。 
 氏は、今は亡く、すでに4年も不可視である。しかし、不可視イコール不在ではない。氏は、つねに私達の側にいて、本質的なもの―すなわち存在の証―を探す私たちを見守っていてくれる。」
-河合澄枝著(美術ジャーナリスト) 2003年-

 生涯アトリエを持たず、世界中で石を彫りながら活動を続け「動く彫刻家」と称されたアーティスト三上浩の遺作をこのまま埋もれさせてしまうのは、非常に残念な事です。17回忌となる今年展覧会実現を願い、私達は“佐賀町アーカイブ”主宰者小池一子を中心に
“三上浩「プロジェクト・QUAUGLYPH」実行委員会”を立ち上げました。三上浩が1985年展覧会を行った“佐賀町エキジビットスペース”(1983-2000年)は数多くのアーティストを輩出した日本初のオルタナティヴスペースとして広く知られています。2011年よりスペースを“3331アーツ千代田”に移し、“佐賀町アーカイブ”としてこれまでの活動を検証する展覧会を行っています。生前三上浩が芸術上の信条をともにした友人とその活動の場において、未発表の「硄グリフ」の展覧会をつくり、ユニークな活動を続けた作家の提起している主題を現在に甦らせたいと考えます。
文字としての硄グリフが、広く国内外の芸術文化、デザイン関係者、美術を愛する人々の注目を集める機会となることを願い、本展覧会を企画実施します。

・展示内容、「プロジェクト・QUAUGLYPH」テキスト(故三上浩著)につきましては
 添付資料をご参照ください。